カテゴリー
日記

「時はいのちなり」

こんにちは、住職です。
本日2月15日は、お釈迦様がこの世を去られた(=涅槃に入られた)日と伝えられています。「涅槃会」という法要を営み、そのご遺徳を偲ぶ日です。

お釈迦様は80歳でご生涯を閉じられましたが、本来は100歳の寿命があったという伝説があります。100年の寿命のうちの20年を、後世の人々の為にと遺されたというのです。

もちろんこれは伝説ですが、この説話についてこんな話を聞いたことがあります。

「お悟りを開かれてから80歳になるまでの40年以上、お釈迦様はインドの大地を歩き続けた。まだ車も、ともすればきちんとした道も無いような時代に、おそらくは裸足で歩き続けられた。それは寿命を削るような旅だったにに違いない、けれどもお続けになられた。何故か。一人でも多くの人と会い、一人でも多くの人と話して、言葉を伝えたかったからに違いない。だからその御教えと御心は今日も私たちを照らしてくださっている」

タイトルの「時は命なり」は、私が通っていた高校の校長先生が口癖のように仰っていた言葉です。「分」「秒」と同じように「年齢」も時間の単位ですからよく考えれば当たり前のことです。

お釈迦様は20年のいのちを費やして法を説き、我々に分け与えてくださいました。お釈迦様だけではありません。縁を結んでくださる沢山の方々から、教えと時間(=いのち)をいただいて、私たちの今日はあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です